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この記事の目的
「品質はなんとなく監視している」から「目標を宣言し、予算で管理する」へ進めるようになります。非決定的な AI システムに対して、SLI(測る指標)と SLO(その目標)を設計し、エラーバジェットで「いつ改善を優先し、いつ機能追加を止めるか」を判断できる状態がゴールです。
対象読者
- 本番 Agent の可観測性トレース・メトリクス・ログといった外部出力から、システム内部で何が起きたかを説明できる性質。Agent では技術メトリクスに加えて品質シグナルの設計が必要になる。は入れたが、品質を「目標」として運用する仕組みがないエンジニア・SRE
- 「品質が落ちている気がする」を、宣言した目標と数字で管理したいテックリード
前提知識
- 可観測性とトレーシング — 技術メトリクスと品質シグナルの計測(SLI の測定基盤)
- オンライン評価と A/B テスト — 本番の品質シグナルとガードレールメトリクス改善実験で主指標を追う一方、「悪化してはいけない」指標として監視するもの(コスト・レイテンシ・エラー率・安全性逸脱など)。主指標が上がっても閾値を超えたら失敗と見なす。(SLI の候補)
本文
概要: 分担と「目標と予算の運用」
| 対象 | 正本 | 本記事 |
|---|---|---|
| 計測基盤(何をどう記録するか) | 可観測性とトレーシング | — |
| 本番の品質シグナル・ガードレールモデルの判断の外側でコードとして強制される制御。入力・出力・アクションの 3 層に配置し、プロンプトでの指示(お願い)と区別される。メトリクス | オンライン評価と A/B テスト | — |
| judge による採点の設計・検証 | LLM-as-a-Judge | — |
| 発火後の対応 | インシデント対応 | — |
| 品質・信頼性を目標として宣言・予算運用する | 本記事 | SLI 候補・SLO 水準・エラーバジェット・SLA 昇格 |
SLI(測る指標)を計測する基盤は 可観測性とトレーシング が、その品質シグナル自体は オンライン評価と A/B テスト が正本です。本記事は、それらを目標(SLO)として宣言し、エラーバジェットで運用する方法論を扱います。SRE の SLO/SLI の一般論は既存の確立した文献に譲り、AI 固有の面に絞ります。
AI の SLI 候補と測定の信頼性
SLI(Service Level Indicator: サービスの良し悪しを表す指標)は、AI では「レイテンシ・エラー率」だけでは足りません。品質そのものを指標にする必要があります。
| SLI 候補 | 測り方 | 注意 |
|---|---|---|
| タスク成功率 | 状態検証・完了率(代理指標) | タスクに合った成功定義が要る |
| 回答品質の合格率 | 本番出力をサンプリングし judge で採点した合格割合 | judge の較正モデルの言う確信度と実際の正解率が一致している性質。「確信 80% のケースが実際に 8 割正解する」なら較正が良い。LLM は過信に寄りやすく、較正はモデル更新でずれるため再測定が要る。が前提(後述) |
| 幻覚モデルが事実でない内容をもっともらしく生成する現象。「もっともらしい続きを生成する」という学習目的の自然な帰結であり、対策は指示の強化ではなく、根拠の外部供給(RAG)・出典要求・検証という構造側にある。率・逸脱率 | 根拠のない回答・制約違反の割合 | 検出手段の網羅性が課題 |
| エスカレーション率 | 人へ回った割合 | 低すぎ(抱え込み)も高すぎ(役立たず)も問題 |
| レイテンシ・コストの複合 | p95 レイテンシ、リクエスト単価 | 品質 SLI と併せて見る |
判定の信頼性が SLI の信頼性を決めます。 judge ベースの SLI(サンプリング採点の合格率)は、その judge が較正されていなければ数字が信用できません(LLM-as-a-Judge の judge 検証、信頼度と較正(calibration))。「品質 SLI が 95%」の前に「その 95% は正しく測れているか」を確かめます。
SLO の水準設定: 100% を狙わない
SLO(Service Level Objective: SLI の目標値)は、現実的な水準に設定します。
- ベースラインから始める: まず現状の SLI を測り、それを起点に「維持すべき/引き上げるべき」水準を決めます。目標を先に決めて現実と乖離させないことです
- 100% を目標にしない: 非決定的な AI で「品質 100%」は不可能で、そこに近づけるコストは急激に増えます。「必要十分な水準」を関係者で合意します。過剰品質はコストの無駄です
- タスクの影響度で変える: 誤答が重大なタスク(医療・金融)は高い SLO を、影響の小さいタスク(下書き)は緩い SLO を、と使い分けます
- 複数 SLI を組み合わせる: 品質 SLO とレイテンシ・コストの SLO を併記します。片方だけ追うと、品質のためにコストが暴走する、が起きます
エラーバジェットの運用
SLO の裏返しがエラーバジェット(error budget) — 「許容できる失敗の量」です。SLO が 99% なら、1% が予算です。
- 予算で優先順位を決める: エラーバジェットが残っているなら、多少のリスクを取って機能追加・変更を進めてよい。使い切ったなら、新規変更を凍結し、品質改善に人を回す — という判断の型を作ります
- AI 特有の消費源: モデル更新・プロンプト変更・知識源の劣化で、品質バジェットは静かに消費されます。これらの変更を「バジェットを消費する行為」として扱います(バージョニングとモデル更新追従)
- 予算超過は非難でなく判断のトリガー: バジェットを使い切ったら「誰が悪いか」ではなく「何を止め、何を直すか」を決めます。SLO・エラーバジェットは、感情論を数字の判断に置き換える道具です
対外 SLA への昇格
SLO(内部目標)と SLA(Service Level Agreement: 顧客との契約)は別物です。内部 SLO を対外約束に昇格させるときは慎重にします。
- 約束できることとできないこと: レイテンシ・可用性は約束しやすい一方、「回答が正しい」を SLA で約束するのは危険です(非決定的で、外部要因に左右される)。何を契約に載せるかは、測定の信頼性と統制可能性で判断します
- SLA は SLO より緩く: 対外約束は、内部目標より余裕を持たせます(内部で 99% を目指し、対外は 95% を約束する、など)。バジェットの緩衝を持たせないと、内部の小さな劣化が契約違反になります
- API 契約との接続: 機械間の契約でメータリング・ステータスを約束する設計は エージェントの API 設計 が扱います。SLA はその品質面です
モデル更新・プロンプト変更と SLO
AI の SLO は、変更のたびに揺れます。
- モデル更新・プロンプト変更は SLI を動かします。変更前後で SLO を割っていないかを回帰評価で確認し(回帰テストと CI 組み込み)、SLO を割る変更は出さない・段階リリースで確かめる、を関門にします
- SLO・エラーバジェットを、変更の可否判断(バージョニングとモデル更新追従)に組み込みます。「バジェットがあるから出す/ないから止める」を機械的に回せると、リリース判断が属人的でなくなります
実務での注意点
アンチパターン
- レイテンシ・エラー率だけを SLI にする → 品質の劣化(幻覚・逸脱)が SLO に現れず見逃す → 品質 SLI(サンプリング採点の合格率など)を含める
- 未較正の judge の合格率を SLI にする → 数字が実態を表さず、間違った安心を与える → judge を検証・較正してから SLI に使う
- SLO を 100% に設定する → 到達不能な目標で常に「違反」になり、判断に使えない → ベースラインから現実的な水準を合意する
- エラーバジェットを判断に使わない → 品質が落ちても機能追加を続け、劣化が蓄積する → バジェット枯渇で変更を凍結し改善に回す型を作る
- 内部 SLO をそのまま対外 SLA にする → 小さな内部劣化が契約違反になる → SLA は SLO より緩く、約束できる指標に絞る
チェックリスト
- 品質を表す SLI(タスク成功率・採点合格率など)を、レイテンシ・コストと併せて定義した
- judge ベースの SLI について、judge の較正・検証を確認している
- SLO をベースラインから現実的な水準で設定した(100% を狙っていない)
- タスクの影響度で SLO の水準を変えている
- エラーバジェットを定義し、枯渇時に変更を凍結する判断の型がある
- モデル更新・プロンプト変更をバジェット消費として扱い、リリース判断に組み込んでいる
- 対外 SLA は内部 SLO より緩く、約束できる指標に絞っている
関連トピック
- 可観測性とトレーシング — SLI を測る計測基盤
- オンライン評価と A/B テスト — 本番の品質シグナル・ガードレールメトリクス(SLI の候補)
- LLM-as-a-Judge / 信頼度と較正(calibration) — judge ベース SLI の較正
- インシデント対応 — SLO 違反・バジェット枯渇の先の対応
- バージョニングとモデル更新追従 — 変更をバジェット消費として管理する
- エージェントの API 設計 — 対外 SLA の機械間契約側
- AI システムのカオスエンジニアリング — SLO を守れるかを障害注入で検証する
参考資料
- Site Reliability Engineering — Service Level Objectives(Google) — SLI/SLO/エラーバジェットの一般方法論(本記事はこれを AI 固有の面に適用)(アクセス日: 2026-07-08)